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2016 / 10 / 11



 二眼レフは箱のようなカメラで、レンズは二つある。上のレンズはファインダーで、下のレンズでネガに感光させる。二眼レフはまるで人の目と心を表しているようだ。中身はフィルムだけ。あとは空洞になっていて意志はない。単純な構造で、このカメラは何十年前のものかよく知らないが、壊れず頑丈である。
 私も箱のような女である。目と心で見て記憶し、それ以外は空っぽだ。意志などない。
 美しいものにすぐ感動し、自分の気に入らないことに腹を立て、それは一見複雑なようでただ自分の構造に従っているだけなので、本当に単純なつくりである。もう二十八歳になろうともする女であるが、これがなかなか健康に恵まれていて頑丈なのだ。
 人もカメラも基本的には同じようなつくりである。そしてそれぞれに個体差はあるけれど、微々たるものだ。本当にその差というものの実体は、その箱で撮ったネガの内容や量である。
 箱は与えられたものだけで充分であるが、ネガは選べるし、ネガに写すものも選べる。そこではじめて違いが出る。写真には写すべきものとそうでないもの、ネガとポジ、光と影、どこまでいっても二元論である。
 私の性格もオールオアナッシング、黒か白か、生きるか死ぬかで、どこまでいっても二元論である。
 箱の構造に従うのみ、それを全うする他にすべきことはなし。


mamou paperに載るはずだった「箱」という回。
うまいようで実はうまくないなあ、と思って、
そして載せる写真は35だったのも支離滅裂と思ってやめた。
66で撮ったのスキャンしたのでここでケリつけました。

この写真スクロールすると三次元ぽく見えるし、動いて見える気がする。

今日は撮影者とは別の人がプリントしたものを見て、
重い感動を覚えました。
いい写真って、心のそこから感動する。
ネガをまた別の人がプリントするって、
とても責任あるしすごい勇気と思うけど、
今まで見てきたもので感動しなかったものない。

写真はどうしてこんなに心に響くのかなあと、
毎度不思議な気持ちになる。