コンテンツ

2021 / 10 / 01


 blutetoothのペンタブを買ったのにすぐに電池がなくなるのが面倒で結局ずっと充電状態で使用している。有線と意味が同じだと思うのですが…。特にペンタブ使用する人の連続使用時間なんてかなり多いはずなのに、私程度の人でさえすぐ消耗するってなんなのかしら。電池が無くなったら休めってことだね。モニターも端っこの方が焼けてきた。はあ。

他人に「気にし過ぎ!」と言われることが人生でかなり多い。そういうこと直接言えるような人だろうから、そう言われても「いや、アンタが気にしなさ過ぎなだけでしょ…」と私は思ってしまう。そしてなんなら私のような思考回路が多数派だと思っていて、きっとみんな良い人でいちいち私みたいに言わないだけなんだ、と勝手に納得していたけどもしかしたら私が少数派かもしれない。みんなそんなに色々なことを気にしていないんでしょうか?

時を遡れば、小学校の幼馴染から酷く辛い思いをしたことがあって、それきり人の言葉を額面通りに受け取れない。そうは言っても内心どうせ違うんだろう、と心のどこかで思ってしまう。それまでも内向的な性格だったけど、さらに加速したような。かなり仲良くしていたから家族がたまに話題に出すけど、名前を聞くのも嫌なので完全にその話題を無視して一切触れずに別の話題に切り替えている。二度と会いたくないし思い出したくないのに、いつまでも覚えていて忘れられない。被害者意識は良くないと思っても、じゃ私が我慢すればいいやと横に置いておき、さあ嫌なことがあったぞとなると過去の横に置いていた出来事もこんな風に合わせて、どんどん重くなる何かが持てなくなってそのうち潰れたら、じゃあ誰が自分の面倒見るんだろう?と思った。そもそも「我慢する」という始まりからおかしい気がする。忘れればいいじゃん、とか、気にすんなよって自分自身も思うけど、気質だから無理なんだと思う。日記を子供の頃から付けてたけど、誰にも言えない愚痴の殴り書きや酷い言葉が多く並んでいて誰にも見せられないので捨てた。

と言っても毎日毎日ずっとそういうわけではなく、絶対楽しく過ごしている日の方が多い。ただ、そういう日々の中でも些細な行動や言動から勝手に深く読み取ってしまい、勝手に感動して泣いたり、勝手に悲しくなって泣いたり、意見を言っても泣いたり、プリントがうまいと思って泣くし、感受性が豊かという点においてはこの上ない自分の良さだけれど、やっぱり少し大変だったのかもしれないなあ、とも思う。さっきも路上で泣いてしまった。それも道端で知らない人と話しただけで。昔の英語教室や空手道場に通っていた頃も大変だったな。人付き合いが実はうまくないから。

あと、もともとネガティブな人間なのでネガティブな人とあまり一緒にいると連れて行かれて戻ってくるのにかなりしんどくなり、かと言って真逆の人と仲良くなると痛い目に合うということも多くあり。ただのワガママだけどさ。思い通りにいかないことに対して嫌、自分が一番じゃないと嫌、というのがいちばんの原因、と自分に責任を持ちすぎるところも異常な気がするし、そのためにこの量を一気に書くのもやっぱり少し変な気がする。

という、感じ。なんか…セラピーとか受けた方がいいんか?でも、人生色々あるもんだし…と思っても虫歯になったら削るしかないみたいな感じで、地に落ちたら誰が自分の面倒見るんだ…。調べてみたけど、なんかあんまりピンと来なくて違う気もする。

うーーん、お茶でも習おうかな。そういうことの方が合ってる気がする。そして夜のブログ活動もセラピーだな。

そういう時もあるだろう、が何度も何度も訪れてだんだん怖くなってきた。秋や冬が苦手なのって自分にとって悲しい出来事がたくさんあったのかもしれない。季節が私をいじめてる気さえする。こういう表現も、ちょっと変だなあと思ったりした。

多分周りの人が常に優しくて甘えてきた証拠とも言えるのかな。と、自分に全ての問題があると思うところも、勝手に背負いこみすぎな気がしてきた。今日は台風も来ていてかなりしんどくて、2時間くらい作業したあと、ほぼ横になってた。あしたは晴れるらしいしどこか行こうかしら。気力はあるみたい。

2021 / 07 / 04

 

8月9日から一週間、個展をします。


中澤真央 個展 「光の覚書き」

日時
2021年8月9日(月)〜2021年8月16日(日)
12:00〜19:00

場所
Place M 東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル3F 

在廊したりしなかったりすると思いますので、twitterやインスタなどで前日にお知らせします、よろしくお願い致します。

AUTOCORDの展示から約一年経っての個展です。その後、去年の10月くらいからカラープリントで白の表現というテーマをベースに、これまで撮ってきたものから選んだり新しく撮ったりしたものを暗室でカラープリントしました。グループ展「旅しないカメラ/Travelling 11」で展示した6枚も展示します。もし見逃した方は今回の個展に来て頂ければと思います。また6枚だけ展示した時と印象が随分変わると思いますので、グループ展に来て頂いた方も変化を楽しんでもらえるかな?と思います。


写真の制作意図のようなものを書きました。制作意図が気になる方もいるし、意図を伝えることも作家の役割だと感じているので書いてます。でも流石に見たあとの方がいいような気もするし、ずっと見なくてもいいような気がするので行間開けて書いてます。見たくない方はここでお別れ、写真展宜しくお願い致します。



















制作意図
ずっと自分の生まれた土地を撮影するということでオリジナリティを作ってきたつもりなのですが、それを続けていくなかで暗室でのカラープリントを褒めてもらえたり、写真の中の白が良いと言ってもらえたりして、私の外側の情報のオリジナリティに頼らなくても、これまで続けてきた写真制作という一連の行為の中に誰にも盗まれることのない自分のオリジナリティがあるかもしれないという表現に挑戦しています。タイトルですが、挑戦中、まだまだ写真について学んでいる途中、一人の写真家の勉強ノート、あるいは人類史の記録の断片のようなもの、みたいなイメージです。写真には言葉と同じくらいの伝達能力があると私は思っていて、自分の写真がゆくゆくは古代ローマの壁画のような記号に見えたらいいなという一つのボヤーっとした夢があります。前回のシリーズタイトルが「AUTOCORD」というのはカメラの名前ですが、ほぼ自動的に記録される記号や文字、という意味に勝手に捉えて(CORDはCODEとも思って)付けました。今回のは、そしてそれから私はどうなった?という感じです。
あと、毎回タイトルは付けてますが、一つの大きな作品を作っている感じです。やっと序章が終わったかな?前書き?
かなり脱線しますが以前、岩波ホールで見た「ヴィオレット」という映画のマルタンプロヴォ監督の言葉「人は人生をかけて芸術家になっていく」に感銘を受けて、そして共感し、はっきり言うとそれから「私も作家になっていきたい」と強く思うようになりました。
この「光の覚書き」は新章になるはず、なる!させてやる!と言う根性でテーマを決め笑、作りました。俺の根性です。

ここまで熱弁して色々ほざきましたが、作品にとって作家の意図が一番邪魔だなあと思うことが私にはあるので鑑賞していただく皆さんには適当に読み流してもらって、ピュアな気持ちで写真を見てもらえたら、と願ってます。制作意図が気になる方もいるし、意図を伝えることも作家の役割だと感じているので書きました、でも無視してください笑。そういういろんなものを超えて行く力が写真にはある!と私は信じています。

2021 / 07 / 01

 

もう7月になった、今年もあと半分ってことか。確定申告が近付いてくる、だいぶ気が早いけど。

8月9日から1週間Place Mで展示します〜!完全に個展です。あと1ヶ月、時間がない!でもできる!去年と大体同じ時期にまたやります。1年に1回以上出来たらいいなと思いつつ、今年は5月にグループ展にも参加出来たので良かった、、、。個展は1年に一回が目標、あとは声をかけてもらって展示を依頼されたりしたいな、そしてグループ展にも縁があれば参加したい。

グループ展がかなり楽しくてとても良かった。写真の話しかほぼしないってあんまりなかったなあ、と参加して思った。専門学校に通い始めた頃のこと思い出してた。大学生活も楽しかったけど写真とか映画とかそういう話をよくするようになったのは専門学校からで、そこにいた人もみんな写真とか映画のことよく知っているし、というかその話をするのが普通の感覚の中にいるっていうことが新鮮で燃えた。写真やカメラに毎日触れて一日に一つ何か学んでいるという実感もこれまで通り生活しつつ、もっと写真の話(構図とか技術の話ではないもっと違う何か)をこれから少しずつ増やしていくことがちょっとした目標。

7月になったけど梅雨は調子が上がってきたみたい。

2021 / 04 / 29

 

意外と4月に2回更新する頻度の高さ。

こないだ久しぶりに作品撮影して楽しかったなあ。また撮影会したい。その時撮った写真です。白いものに最近は注目して撮っているので、こういうのはセレクトから外れるのでこちらで発表します。モロッコで撮ったスプライトの写真思い出すわねえ。

今日は暗室に行けたら行きたいな。あとで聞いてみよう。その前に少し写真とか頭の中とか整理してから向かいたい。今日は何も予定はないけど早起きしてしまい、朝からブログ書いています。

なんで白をテーマにしているかと言うと、これまでの私の写真から炙り出てきた個性の一つが白だったことから。人からの指摘で気づいたことだけど、カラーで白って面白いし挑戦的だなあと感じてそう決めた。

自分とは、個性とは何ぞや?と言う疑問がずっとあって、子供の頃からずっとあって。さっき急に思い出したけど、私がおばあちゃんになった時に何かやりきった、これは頑張ってきたな、と思うことが何でもいいから人生に一つあったらいいなと思って色々興味のあることは手をつけてきて、今もチョロチョロ何でも手を付けて楽しんでいるけど何だかんだ写真が続いているので、もうほとんど執着かもしれないけど写真を楽しく続けている。結果的に写真を撮る仕事もしているけど、私的な時間の中でもこうして写真について考えあぐねていることは楽しんでいるということだと思う。

それで、写真を始めた頃になるべく長く続けたいと言う出発点があったので、自分の中で無理をするときっと続かないから無理しない範囲のテーマに絞り、かつ自分や個性を探るようなものがいいなと思って、私の生まれ育った街や生活環境を写真に映すことで自分の個性の形が浮かび上がり表現できるのでは?と言う仮説、また大きなテーマとしてその都度タイトルを変えながら写真そのものは同じような感じでいっか、とにかく続けてるうちにわかってくるさ、自分というものが、と思って作品を作り展示などで人様にみてもらって自分でも客観視して私の個性というものをずっと探っている。見つからないかもしれないけど、というか答えなんてないものだから見つけられないものかもしれないけど、自分としてはその行動が人生における不安とか恐怖を和らげてくれるものなんだなあ、と昨日わかった。人とのコミュニケーションツールでもあるし、社会と私を繋げてくれるパイプの役割もあるし。

そうしてパッと思いつきのように始めてなぜか現在も続けている写真だけど、これまで作品として発表してきた写真の中で白が私の注目していることの一つだとわかり、自分の個性を環境を映すことに固執し依存してきた私の作品がまた別の段階で個性を帯びてきているのでは?ということが白をテーマにすることで、自分に対して新しい視点を持てるかもしれないと思った。

ほぼ自分のために書いてる。あんまり考えると熱を出すのでこのくらいにします。また気まぐれで書きます〜。

2021 / 04 / 09


 こんちわ。結局久しぶりになってしまう。

最近は季節によるものなのかかなりイライラした感じで過ごしています、多分今日から打破したはず。でもしょうがないよね、人間生きてればそんな時期もあるさ、としか言いようがない。完全に世界中の異常事態のせいだと思うけど、もうそれの無い世界は考えられないし、結果論と言えば結果論、でも毎日自分なりのベストで生きて行こうと思うよ。

新しい作品テーマに取り掛かってて、今日はいい感じの写真データをスキャンできたのでホッとした。まだ精度は低いけど、これだ!という感覚を少しずつ掴んでいるように思う。昔から性格がねじ曲がっているので生き方も下手くそだけど、でも上手くかわしたり出来たりするのも嫌いだし、その繰り返しでちぐはぐのまま結構大人になったけど、年齢で自動的に大人になれるんだったらこの世はもっと狂ったように平和だと思うから一般的な成長なのかなと思う。

今年はまた個展したいしそれに向けて進んでます。iso160のカラーネガ、バッチリ決まれば相当綺麗だ、慣れたいね。

2021 / 01 / 29

 

やっぴー、これは年末。カモメか?伸ばし棒の上にいますね。可愛い。

自分にすごい自信持つ時と、うわー全然だなー…と地に堕ちる時とあって、それを自覚しているだけいいとは思うけど何かしなければ!と思い立った時、ただ一人で悶々と誰かと比べたりする時間に費やすのではなく、こうして書いたり写真載せたりすることで1ミリでも進んでいる感じを体に覚えさせて、バランスを保っていたりする、かも。もっと沢山撮らないとダメだなあ。あー。東京都写真美術館で写真展したいという具体的な目標を掲げつつ、日々精進して行きます。

テーマを設定して撮ってはいるものの、結局まだ何を撮っていいのかよく分かってないのかも知れない。そうこうして居る内に一月も終わりじゃん。お風呂はいって今日は寝ますわ。寝るのかよ〜、そういうところだよ〜私〜。心身ともに健康ということには違いない。

2021 / 01 / 24

 

やあ。この写真気に入ってるけどnoteっぽくないのでここで。

パティスミスの本「M train」を毎朝一章ずつ読んでいる。
この人、コーヒーとブラウントーストにオリーブオイルをカフェでモーニングしていてかっこいい…と思った。真似しよ。今日はご飯、味噌汁、目玉焼きにウインナーの私のモーニング。

夢の話を書いてるようだけど、回想録とオビに書いてるように実際のことを思いついた順に書いてるようななんだか不思議な感じ。カフェにコーヒー、ヴィムヴェンダース、モロッコ、などなど私にも縁があるような言葉が所々にあって面白い。もしかして、私の話?と、読む人にとって自分ごとにさせるような物語。一気に読むより、ボーッとした頭で読む、というか眺めるように見ている方があってる気がする。

今月中にzineを作るといいつつ、まだ三分の一も作ってない。でもゼロではないからいいか。昨日も写真展行ったけど今日も行きたいんだった。雨降って寒いけど、頑張って行って来ます。かぜは引かないように気をつけます。月曜日休みが多いから今日行かねば。今日終了のところもあるし。昨日見た写真良かったなあ、でも買うのは別の人のにしようかな…。素晴らしいプリントそして佇まい、見事だけど私の部屋とは少し違うような。もう少し考えてから決断しよう。しかしやっぱり、ギャラリーバウハウスで買った写真は良かったなあ、と思う。

また気が向いたら書きます。

2021 / 01 / 02

 


2021年になりました。このブログを始めたのは2011年だった気がするので10年目?
短いような長いような。こまめに更新している時もあれば、ここ最近は月に一回も更新しない時があるので何とも言えませんが、でも写真を続けているのでよく頑張ってる方なのかもしれません。

今年は清里のヤングポートフォリオに応募して、写真展もまたやりたいです。テーマは決まってるので、撮って暗室行くだけ。しかし寝正月、今日はずっと漫画読んでた。近所に出かけたけどお店もほとんど休みなのですぐ帰ってきた。家が大好き。日当たりが良くてゴロゴロしてしまう。正月にゴロゴロしてると色々思い出すけど、鮮明に覚えていたはずのことがだんだんボヤけてきました。憎っくきアイツ!や、コイツ!のことも薄らいできてしまいました。普通に時間が経つと忘れるんだね、本当に。人間の頭がパソコンみたいにずっと克明に記録できなくて良かった。

古い映画を見たあとに現代の私たちの生活や急激に成長した環境などをふと見回すと、人類もついにここまで来たか、と思ったりする。ずっとこうして続いて行くのかしらね、写真は大事だね。

お風呂入りながらポッドキャスト聞くのハマってます。ではまた。