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2011 / 12 / 28


初めて写真展を見に行ったあと、衝動だけで撮ったブックが一冊ある。その中の一枚。
いろいろと変わりつつあるようで、まだまだ何も変わっていない気もする。
しかしこれが良いか悪いか、と言うよりも、こういう行動を起こしたあの時の私を忘れたくない。



お世話になった先生がお亡くなりになられたと聞いてびっくりした。
春以来、お会いしてなかったので、まだ実感が湧かない。

私は学生時代、学校の先生に対してすごく嫌悪感があった。
なんでもわかったような口ぶり、
生徒を一人の人間として見るよりも子どもとして扱う態度、
模範的な解答の子だけ褒めるその体質。

もちろんそんな方々ばかりではないし、
あの時はすごく嫌だったことも、今となっては身にしみることもたくさんある。
そういった意味では出会った全ての先生に感謝しているけれど、
当時は嫌だと直感的に感じることが多かった。
けれどその先生はそれまで出会ってきた先生たちと少し違う気がした。

一番印象的だったのは「政府に従順ではいけない」という言葉。
私は大学生になって初めて世の中の本当のことを教えて頂いた気がする。
それまでは何となく過ぎていく毎日で、世間がおかしいと思っても、
いや、それは私の考え方がおかしいんだろう、と思うようにしていた。
けれど歳を重ねていくたびに、これはどうなんだろう、
あれはやっぱり違うと思う、と自分の中で思うことが多くなってきた。
そういう中で出会った言葉がそれだった。

先生の大学の部屋にあった「アウトサイダーズ ラベリング理論とは何か」
という本を以前、先生に紹介されたのか部屋にあって目に付いたのかはわからないけれど、
それが気になったので、買って少しずつ読んでいる。
最初のページを読んですぐに私はすっきりした。
それは是非読んでみて欲しい。

大衆的なものが必ずしも正しいわけではない、
むしろそういう風に流されないで自分の中で納得できないものは
とことん付き詰めていくべきだと私は確信した。
そして自分に対して嘘のない人生を送りたいと私は改めて思った。

この文章を読んで、
私はこの先生との出会いがいわゆる人生のターニングポイントだと思う人もいるだろう。
けれどそれは少し違う。

確かに私がこういう風に書いたり、フィルムで写真表現をしたり、
インディーミュージックが好きな理由と言うのは、そういう出来事と巡り合ったからだと思う。
でもそれは、全て私の思い込みで進んできている。
先生は大勢の生徒に出会ってきたし、私以外も先生の授業は受けている。
私だけの特別な出来事というものは、この世の中にほとんどない。
どんな出来事も自分の思い込みで進められてしまうのだ。
自発的に行動しているようで、それは自動的にも等しいと思う。
だから人生のターニングポイントというのは毎日起こっているのである。
それは特別なようでまったく日常の出来事だ。

けれどそれが毎日感じられるということは
非常に人間的であり、社会的であり、
動物の中の人間と言う生物でよかったと思う瞬間である。
大学で初めて、学校と言う場所の有難みが分かった。
本当に意味のあることを習ったと私は思っている。

先生の授業を受けることが出来て光栄でした。
これからも先生をお手本に毎日過ごしていきたいです。
ご冥福をお祈りします。